20XX年大規模震災における災害拠点病院救急医によるトリアージ判断と限られた資源配分
災害発生時の状況描写
20XX年X月Y日午前Z時、日本列島中部にマグニチュード7.8の「中央地域直下型地震」が発生しました。震源地に近い都市部では震度7を観測し、広範囲で建物倒壊、火災、液状化現象が発生しました。ライフラインは寸断され、交通網も広範にわたって麻痺状態となりました。この災害において、A県B市に位置する「C総合病院」は、地域の中核災害拠点病院として機能することが求められました。
C総合病院は、震災により建物の一部に損壊があったものの、耐震構造が功を奏し、主要機能は維持可能でした。しかし、停電により自家発電に切り替わり、水の供給も一時的に停止しました。通信網の混乱により外部との連絡は途絶えがちとなり、DMAT(災害派遣医療チーム)や自衛隊などの外部からの応援到着も大幅に遅れることが予想される状況でした。
本記事の対象者である救急科部長の田中医師(仮名、40代男性)は、発災直後から救急外来に詰めかけ、次々と搬送されてくる多数の傷病者への対応に直面しました。発災から3時間後には、救急外来にはすでに約50名の傷病者が殺到しており、その数は刻一刻と増加していました。重症患者、中等症患者、軽症患者が混在し、中には心肺停止状態の患者も含まれていました。医療スタッフは当直医と看護師、初期研修医のみで、常勤医師の多くは交通網の麻痺により病院への到着が困難な状況でした。使用可能な医薬品や医療資材も限られ、特に人工呼吸器や輸血用血液、骨折治療用の固定具などは数に限りがありました。
決断プロセス:限られたリソース下でのトリアージの実施
田中医師は、刻々と悪化する状況下で、多数の傷病者に対する迅速かつ効率的な医療資源の配分を迫られました。その中核となるのが「トリアージ」です。発災直後、田中医師はまず、病院内の状況を把握し、残存する医療スタッフと使用可能な医療資材のリストアップを指示しました。同時に、外部からの情報が少ない中で、現状の把握に努めました。
彼は、多数の傷病者の前で、トリアージの原則であるSTART法(Simple Triage And Rapid Treatment)の実施を決断しました。しかし、通常はトリアージタッグを使い分類するものの、この状況下ではタッグの準備もままならず、口頭での指示と簡易的なマーキング(赤、黄、緑、黒のペンなどを用いた皮膚への記入)で対応することとなりました。
田中医師が直面した最大の葛藤は、蘇生の見込みが極めて低いと判断される「黒タッグ」(死亡または絶望的)の患者に対し、限られた医療資源を投入するか否かという倫理的判断でした。現場にはすでに数名の心肺停止状態の患者がおり、彼らへの蘇生処置は、他の「赤タッグ」(最優先治療)の患者への介入を遅らせ、救命可能な命が失われる可能性を高めることになります。彼は、限られたリソースを最大限に活用し、より多くの生命を救うという功利主義的視点と、目の前の患者一人ひとりに最善を尽くすという義務論的視点との間で深く苦悩しました。
最終的に、田中医師は、過去の災害医療訓練で学んだ知見と、病院の緊急時対応計画(BCP)におけるトリアージガイドラインを参照し、「現状の医療資源では、蘇生処置に要する時間と労力を他の救命可能な患者に振り向けるべきである」という苦渋の決断を下しました。この判断は、蘇生の可能性が低い患者への医療行為を停止するという重い意味を持ちました。この決定の根拠には、①多数の傷病者に対する全体的な救命率の最大化、②医療スタッフの疲弊とリソース枯渇の抑制、③救命可能な患者への迅速な介入の必要性、がありました。
具体的な行動:現場での対応と資源配分
田中医師は、この決断に基づき、以下の具体的な行動を実行しました。
- トリアージエリアの設置と指示: 救急外来の一角をトリアージエリアとし、自身が指揮を執りました。迅速な傷病者の分類と、その状態に応じた治療エリア(重症処置室、中等症処置室、軽症待機エリア)への振り分けを行いました。
- スタッフの配置と指示: 限られた看護師、初期研修医に対し、それぞれトリアージ補助、搬送、止血処置、簡易固定などの具体的な役割を指示しました。特に経験の浅い研修医には、精神的なサポートも行いつつ、冷静な判断を促しました。
- 医療資源の厳格な管理: 医薬品、医療資材(特に輸液、鎮痛剤、包帯、消毒液)は使用状況を記録させ、田中医師自身が確認の上、優先順位の高い患者から配分するよう指示しました。人工呼吸器は、当初から使用数を限定し、重症度が高いものの回復の見込みがある患者にのみ使用を許可しました。
- 外部連携の試み: 携帯電話が不通となる中、病院に備蓄されていた衛星電話を用いて、災害対策本部への状況報告とDMATの早期派遣を要請しました。
- 情報共有とメンタルケア: 医療スタッフ全体に対し、定期的に状況を共有し、個々の行動が全体の救命率向上に繋がっていることを伝え、精神的な負担を軽減するよう努めました。
結果と影響
田中医師の迅速かつ冷静なトリアージ判断と、限られたリソースの厳格な管理は、C総合病院が大規模震災下において医療崩壊を起こすことを防ぐ上で極めて重要な役割を果たしました。発災から24時間後までにC総合病院で受け入れた約150名の傷病者のうち、最終的に72名が救命され、一時的に容態が安定した28名が近隣の被災状況の軽い医療機関へ転送されました。残念ながら、重篤な状態であった40名(うち心肺停止状態での搬送が15名)は命を落としましたが、これは限られた状況下での医療としては、広範な医療崩壊を回避したという点で一定の評価がなされました。
この行動は、田中医師自身に精神的な重圧と葛藤を伴いましたが、彼が下した決断が多くの命を救ったという事実は、彼を含む医療チーム全体の精神的な支えとなりました。また、病院内では、非常時におけるリーダーシップの重要性、事前の訓練とBCPの実効性、そして医療従事者のメンタルヘルスケアの必要性が改めて認識される結果となりました。
学びと示唆
この経験から得られた教訓は多岐にわたります。第一に、大規模災害時におけるトリアージは、単なる医学的判断だけでなく、倫理的、社会的な判断を伴う複雑なプロセスであるということです。特に、医療資源が極めて限られる状況下での「黒タッグ」の判断は、医療従事者に深刻な精神的負担を強いるため、事前の心理的準備と、多職種連携によるサポート体制の構築が不可欠であると考えられます。
第二に、災害拠点病院としての機能維持には、強固なインフラ(自家発電、衛星通信など)と、具体的なBCPの策定および定期的な訓練が不可欠であることが示されました。特に、通信手段の確保は、外部からの応援要請や情報共有において極めて重要です。
第三に、情報共有の重要性です。発災直後の情報混乱の中、入手可能な情報を基に迅速に判断を下すスキル、そしてその判断の根拠を医療スタッフ全体に明確に伝えるリーダーシップが、組織全体のパフォーマンスを左右することが明らかになりました。
学術的文脈
本事例は、災害医療における「功利主義」と「義務論」の倫理的対立が、実際の現場でいかに具現化されるかを示す具体的なケーススタディとなります。限られた医療資源の配分という困難な決断は、最大多数の最大幸福を追求する功利主義的なアプローチが、個々の患者の権利を尊重する義務論的なアプローチと衝突する場面を浮き彫りにします。
また、時間的制約と情報不足という極度のストレス下における意思決定プロセスは、認知心理学における「ヒューリスティック」や「バイアス」の働きを検証する貴重なデータを提供します。田中医師が過去の訓練経験やガイドラインを参照したことは、経験に基づく判断(経験的ヒューリスティック)が危機管理においてどのように機能するかを示唆します。
さらに、災害時のリーダーシップ研究においても、本事例は重要な洞察を与えます。カリスマ型リーダーシップ、変革型リーダーシップ、あるいは状況対応型リーダーシップといった理論が、極限状況下でどのように適用され、組織のレジリエンスに貢献するのかを考察する上での参考となり得ます。医療従事者の精神的健康(メンタルヘルス)に関する研究においても、倫理的ジレンマに直面した際のストレス反応とその対処法に関する示唆が得られると考えられます。